広い交友があったのですね。
本当に偉大な人物です。
ナチス・ドイツ台頭時代を含むイギリス時代には、ナチスがモデルと思しきスパイが暗躍する数々のサスペンス映画を撮り、『バルカン超特急』では降伏する平和主義者が撃ち殺されるなど、対独宥和主義が主流だった当時のイギリスでは過激な描写も見受けられる。
全盛期でもそれほど評価の高くなかったヒッチコックに光を当てたのはフランスの若い評論家たちである。ヒッチコックは「ヌーヴェルヴァーグの神様」と呼ばれ、クロード・シャブロルやジャン=リュック・ゴダールらに崇拝され、なかでもフランソワ・トリュフォーはロングインタビューを敢行し、『映画術』のタイトルで出版した。
ヒッチコックの評価が当初あまり高くなかったのは、エンターテインメントの要素が強く、芸術性が稀薄だと思われたからである。しかしその作品は非常に高度な映画技法を駆使して作られており、際立った演出手腕を持った映画監督と言える(自国以外の映画関係者によってその真価が再発見されたという点では黒澤明に似ているかもしれない)。その映像テクニックは技術本位ではなくあくまで演出上必要であるからこそ使われ、結果的に絶大な効果を上げている。
自分の作品のどこかにほんの一瞬だけ必ず姿を出すことで知られる(後姿やシルエットだけのこともある)。もともとこれは、初期の頃予算不足のためエキストラを満足に雇えず、やむなく出演していたという単純な理由だった。しかし恰幅の良い容貌のためファンが探すようになってしまい、いつの間にか恒例になったものだという。理由はともかく、そのおかげでファンは作品がどんなにスリリングで手に汗握るものであれ、監督がいつ画面に登場するかを心待ちにするという稀有な楽しみを与えられた。しかし後年はこの「お遊び」があまりに有名になってしまったため、観客が映画に集中出来るよう、ヒッチコックはなるべく映画の冒頭に近いところで顔を見せるように心がけていた。尚、監督の作品の内、英国時代の作品は保護期間終了により、又、米国時代の作品は著作権標記欠落や、入っててもリニューされなかった事、等によりパブリックドメインとなったものが多い。
生い立ち
アルフレッド・ヒッチコックは1899年8月13日にロンドンのレイトンストーンで生まれた、青物商のウィリアム・ヒッチコックと妻のエマ・ジェーン・ヒッチコック(旧姓ウェーラン)の三人の子供の二番目であった。一家はアイルランドのカトリック教徒であった(イギリスでは少数派)。ヒッチコックはロンドンでカトリックの寄宿学校に入学し、後に彼は幼年期は孤独であったと語っている(幼年期に父親に独房に入れられたという話は作り話である)。
ヒッチコックが14歳の時に父親が死亡し、彼は工学を学ぶためセント・イグナチウス・カレッジを去った。学校を卒業した後はケーブル会社の広告デザイナーとなった。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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